2022年12月、経済産業省と独立行政法人情報処理推進機構(IPA)は、「デジタルスキル標準」を策定しました。これは、デジタルトランスフォーメーション(DX)推進に必要な人材の役割や習得すべきスキルを定義したものです。この記事では、DXを推進する人材に必要なスキルとは何かについて解説します。
DXを実現しなければならない理由
いまや毎日のようにDXという言葉を耳にしますが、翻ってDXを実現しなければならない理由とは何なのでしょうか。最初にDXとは何か、その定義を確認しておきましょう。
経済産業省では、DX(デジタルトランスフォーメーション)の定義を『企業がビジネス環境の激しい変化に対応し、データとデジタル技術を活用して、顧客や社会のニーズを基に、製品やサービス、ビジネスモデルを変革するとともに、業務そのものや、組織、プロセス、企業文化・風土を変革し、競争上の優位性を確立すること』としています。
経済発展が進み、生活が便利で豊かになる一方、環境が悪化し、資源が枯渇、食糧が不足する、経済格差が広がるなどの問題が表面化してきました。一番深刻なのは子供が生まれなくなっていることで、社会が高齢化していく現象です。すなわち、労働力も不足するのです。
危機が迫る社会を持続可能なものに変えていくための切り札として期待されているのが、IoT、ロボット、AIなどを活用し、生産性を飛躍的に向上させる取り組みです。あらゆる産業でこれらの取り組みを加速させて多様なニーズにきめ細かく応えられるような社会を作ろうとしているのです。
『経済発展と社会的課題の解決』を両立させるこの取り組みが目指す社会を、内閣府では『Society5.0』と名付けました。 Society5.0について、「サイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(現実空間)を高度に融合させたシステムにより、経済発展と社会的課題の解決を両立する、人間中心の社会(Society)、狩猟社会(Society 1.0)、農耕社会(Society 2.0)、工業社会(Society 3.0)、情報社会(Society 4.0)に続く、新たな社会を指すもので、第5期科学技術基本計画において我が国が目指すべき未来社会の姿として初めて提唱されました」と内閣府は説明しています。
Society5.0を目指すには、企業がこれまでのビジネスのやり方を抜本的に変革する必要があります。日本より海外の方が変革の流れは速い傾向にあるようです。このままでは、グローバル化の波は容赦なく日本の経済界を襲い、既存ビジネスは破壊されていきます。
DXの定義の中にあった『ビジネスモデルを変革するとともに、業務そのものや、組織、プロセス、企業文化・風土を変革し、競争上の優位性を確立』する必要があるとは、まさにそういうことです。DXを実現しなければならないのには、こういう切羽詰まった理由があるのです。
DX実現の現状と課題
DXを推進するには、日本のあらゆる企業がデジタルに対応した変革に、それぞれ取り組んでいく必要があります。ところが、日本は中小企業が99.7%をしめており、人材不足やIT投資負担などいろいろな事情で簡単にはいかないようです。
独立行政法人 中小企業基盤整備機構が、全国の中小企業1000社を対象に実施したアンケート結果によると、多くは人材や資金の不足の問題を抱え、思うようにDXが進みにくいであろうことが分かります。
一方、大企業も特有の問題を抱えています。大企業は潤沢な資金を投資して早くから情報化に取り組み、しっかりとした情報インフラを構築してきました。しかしながら、そのようなかつて構築した情報システムの存在感が大きく、また複雑化・ブラックボックス化してしまっているという課題があります。それらが最近登場してきたインターネット、クラウド、AI、データ活用などを前提とするDXと必ずしも親和性があるとはいえず、推進の足かせになっているのです。
老朽化したこれらシステムのことは「レガシーシステム」と呼ばれ、ここからの脱却が課題となっています。
急務となったDX人材育成
こうした、DXの障壁となる様々な社会解決をしていくにあたって経済産業省は、『「企業のDX推進」と「デジタル人材の育成」を両輪で推進していくことが重要』であるとしています。令和4年6月に閣議決定された「経済財政運営と改革の基本方針2022(骨太の方針2022)」の中では、官民が連携してDXに投資を行うとし、企業をはじめとして自治体・文化・スポーツ等あらゆる分野でDXを推進していく方針が示されました。
こうした方針が示されていても肝心の人材が不足しているのでは、せっかくの骨太の方針に沿った各施策がままならないということになります。そこで、DXに必要な人材とはどういった人材か、どうやって育成していけばよいかについて、各種会議で議論が積み重ねられてきました。
その会議の一つ、経済産業省が主催した「デジタル時代の人材政策に関する検討会」の中で、デジタル人材が不足する理由として、経営者の認識不足や給与の問題が取りざたされました。もはや外部からの新規採用は困難であるとし、社内の人間をリスキリング(新しいスキルを身に着けること)する必要性を唱える意見が出されたのです。
リスキリングは、DXを推進するなど今後の業務遂行に必要な能力・技術・知識などを学び直すことです。外部からDX人材を確保するよりも、自社のビジネスについても知識があるため、スムーズにDXを進められるという見方もあるようです。
経済産業省の政策として「デジタル人材の育成が重要である」という機運を盛り上げることとし、自らデジタル人材を目指す人に対して、学ぶべきスキルが分かるような『デジタル時代の新たな共通スキル指標(スキル・キャリアマップ)が必要ではないか』という議論が展開されたのです。
そこで、経済産業省ではDX人材が身に着けるべきスキルの標準化をすすめて、2022年3月DX人材が持つべきリテラシーの標準が、さらに12月にはDX推進人材が持つべきスキルの標準が定められて、それが発表されました。
デジタルスキル標準の発表
2022年12月にIPAと経済産業省から発表されたのは、「デジタルスキル標準Ver1.0」です。デジタルスキル標準Ver1.0の中は、以下の2つの標準から構成されています。
- DXリテラシー標準
- DX推進スキル標準
これは、デジタル技術を活用して競争力を向上させる企業等に所属する人材を想定しており、このうち「DXリテラシー標準」は全てのビジネスパーソンが身につけるべき能力・スキルを定義したもので、「DX推進スキル標準」はDXを推進する人材類型の役割や習得すべきスキルを定義したものです。
これらは、すべての産業で共通的な事項が定められており、特定の業種に偏っていません。業界が違っても転用がしやすく、汎用性があるものとなっています。 したがって、すべての業界、すべての業種で自らの事業に合わせることができるようになっています。
企業がDXを推進するためには、2つの標準を活用し、人材を育成・確保していきます。これを通じて実現できたことから、自社の事業の規模や現状に合わせて方向性を見直していくサイクルが必要であるとされています。
・DXリテラシー標準とは
これまで、「社会人の常識」とされてきたものは、その範囲が広くなりつつあります。すなわち、デジタル技術の活用によって広がった諸事項、SDGsへの関心、業界の垣根を越えた競争環境の変化、個人の好みの多様化に対応を求められる顧客価値の変化などです。『ビジネスパーソン一人ひとりがDXに関するリテラシーを身につけることで、DXを自分事ととらえ、変革に向けて行動できるようになる』ことがDXリテラシー標準策定のねらいです。
DXリテラシー標準は土台となる1つの項目と柱となる3つの項目からなっています。
このDXリテラシー標準に則って学習することにより、ビジネスパーソン一人ひとりがDXを自分事としてとらえて、変革に向けた行動をとるようになると考えられています。
例えば、経営者はDXの方向性が見えてきて、幹部職員には会社がなぜそれを必要とするかの理解がうまれます。そして現場においてはDXの具体的活用方法が分かり、効率化を図ろうとする知恵が生まれてくるのです。
今回発表されたDXリテラシー標準では、上の図のマインドスタンス・Why・What・Howというそれぞれの項目ごとに、どのようなリテラシーを身に着けるべきか学習項目の例がしっかりと示されています。まもなく、教育コンテンツ事業者等によって各種学習教材がそろってくると思われます。
・DX推進スキル標準とは
日本の企業がDXを推進するにあたっては人材の確保に課題があることを述べました。その原因としては、多くの企業では、そもそもDXに対する方針が分からず、自社にどのようなスキルを持った人材が必要なのか分からないというところにあるといわれています。
DX推進スキル標準では、「DXを通じて何を実現させたいのか」という戦略があった上での人材育成と確保であることを前提に、どのような人材を確保・育成することが必要になるか、適切に設定するための参考となることを目的にしています。
DX推進スキル標準が対象とする訴求先は以下のような企業や個人です。
- 事業規模やDXの推進度合にかかわらず、データやデジタル技術を活用して競争力を向上しようとする企業・組織
- 企業・組織においてデータやデジタル技術を活用した変革を推進する個人
そしてこの標準を参考にすると、例として次のような効果が得られるのではないかと想定されています。
- 自社が優先的に備えるべきロール(役割)が明確になる
- 必要な人材の育成に向け、自社の研修コンテンツを見直せる
- DXプロジェクト推進に必要な知識やスキルが明確になる
- それらの習得に向け、コンテンツを選択し、学習するようになる
役割とそれに必要な知識が明確に定義されたことでDXの推進に必要な人材の育成はかなりやりやすくなるはずです。
DX推進スキル標準の策定方針には以下の5つのポイントがあります。
- DXの推進において必要な人材を5類型に区分して定義
- 活躍する場面や役割の違いにより、2~4つのロールを定義
- 各ロールに求められるスキル* 知識を大括りに定義
- 育成に必要な教育* 研修を把握するための学習項目例を記載
- 独力で業務が遂行でき、後進育成も可能なレベルを想定
人材の類型を5種類に分けて定義し、それぞれに2~4の役割を定義します。そして各役割に必要な知識を大まかに定義して、その学習項目例を定義します。そして、そのスキルを人に教えられるほどにマスターしたといえるレベルについて想定をしているのです。
・人材類型5つの定義
人材類型は以下の5つに定義されています。
―ビジネスアーキテクト
―デザイナー
―データサイエンティスト
―ソフトウェアエンジニア
―サイバーセキュリティ
そしてそれぞれの類型に、DXの推進において担う責任、主な業務、必要なスキルによりロールが2~4種設定されています。
ロールの下には共通スキルリストというものがあり、DXを推進する人材に求められるスキルを5つのカテゴリー・12のサブカテゴリ―で整理しています。
各カテゴリーは2つ以上のサブカテゴリに分け、1つ目では主要な活動を、2つ目以降ではそれを支える要素技術と手法が整理されています。今後は、この基準を学習項目として教材開発などが進むと思われます。
組織や企業においては、DX推進に必要な人材のスキル・知識が自社でどれくらい足りていないかを可視化し、研修内容の見直しや、採用の際注目すべき点を見直すことができます。
また、個人においては、自身が目指すべき役割は何か、課せられている役割がスキル標準のどのロールに近いのかを考えることができ、学習すべき内容が分かるようになるでしょう。
DX人材になるために必要な勉強と素質
このように、政府によってDXに必要な人材像がはっきりと示された今、DX人材になるためにはどのような資質と勉強が必要になるのかが明らかになってきました。従来のIT人材といえば、システムエンジニアやプログラマー、ハードウェアエンジニアを指しましたが、DX人材というくくりに置き換えると範囲は広くなります。
DX推進スキル標準によれば、5つの人材類型のなかにこれまでIT人材とは考えられなかったものが含まれています。それは、以下の3つです。
・ビジネスアーキテクト
他の4つの類型の人材の中心的な立場。デジタルを活用したビジネスを設計し、一貫した取り組みの推進を通じて、設計したビジネスの実現に責任を持つ。関係者をコーディネートし、関係者間の協働関係の構築をリードする。
・デザイナー
顧客・ユーザー視点でのアプローチを、取組みの関係者が常に意識できるように導く。倫理的観点を踏まえた顧客・ユーザーとの接点(製品・サービスと顧客・ユーザーとが関わるポイント)のデザインを行う。
・データサイエンティスト
自社や自組織の競争力向上につながるデータ活用を実現する。DXにおけるデータ活用領域を担い、必要に応じて、他の人材類型と柔軟に連携する。
ソフトウェアのエンジニアとしての技術だけではなくて “顧客を知り、データ分析ができ、ビジネスに精通している”ことが必要となってきます。
ということは、現に活躍している自社の社員、すなわち、顧客を知り、ビジネスに精通している中堅クラスの人材がいるならば、その人材が、変革マネジメントやデータ活用、データセキュリティについて学べば、ビジネスアーキテクトの類型に、ある程度当てはまるということになります。
このようにDX人材になるには、ソフトウェアが作成できるスキルを一から学び直すのではなく、ビジネスの経験と知識を生かせるように新しい変革の知見やデータ活用、セキュリティについての知見を付け足せばよいと考えられます。
このように考えると、新規採用を検討するのではなく自社の人材を「トランスフォーム」するのが近道だといえるでしょう。
DX人材不足は解決できるのか
デジタルスキル標準が発表され、DX人材を育成して確保する道はある程度開かれたといえるでしょう。この標準によって企業が育成に取り組めば、現にビジネスと顧客を知るベテラン社員の中からDX人材を輩出させることも可能になりそうです。
全国の企業・組織が一斉にデジタルスキル標準にのっとって人材育成を始めれば、DX人材不足感も解消され、早期にDXの実現が進んでいくのではないでしょうか。
デジタルスキル標準登場後のDXの進捗に注目していきたいところです。
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