スタートアップと連携し新事業を推進、リアルなものづくりを続ける大企業だからこそ実現できる、DX推進とは

140年以上の歴史がある、カナデビア(旧日立造船)。創業以来、新しいことに次々とチャレンジし、現在も環境事業を柱に存在感を示し、DX戦略によってさらなる成長を目指しています。

「ものづくりDXのプロが聞く」は、Koto Online編集長の田口紀成氏が、製造業DXの最前線を各企業にインタビューするシリーズです。今回お話を伺うのは、カナデビア株式会社(旧日立造船株式会社)、取締役兼常務執行役員、ICT推進本部長の橋爪宗信氏。6年前に株式会社NTTデータから「転職」した経緯とカナデビアでの取り組み、そしてこれまでの経験とカナデビアの強みを生かしたDX戦略について、お話を伺いました。

左から橋爪 宗信氏(カナデビア株式会社、取締役兼常務執行役員、ICT推進本部長)、田口 紀成氏(Koto Online編集長)
左から橋爪 宗信氏(カナデビア株式会社、取締役兼常務執行役員、ICT推進本部長)、田口 紀成氏(Koto Online編集長)
橋爪 宗信氏
カナデビア株式会社、取締役兼常務執行役員、ICT推進本部長
1988年日本電信電話株式会社(NTT)に入社。同年NTTデータに移籍し、法人系システム開発等を担当。NTTデータテラノス社長、NTTデータ公共・社会基盤事業推進プロジェクト推進統括部長を歴任。2018年日立造船に入社。翌年ICT推進本部長に就任し、「守りのITから攻めのIT」を方針に掲げる。コロナ禍におけるテレワーク体制の実現やDX戦略の策定、DX人材育成施策の実行、自社開発のIoTセキュアプラットフォームの運用開始など当社のデジタル化を強力に推進。
田口 紀成氏
Koto Online編集長
2002年、株式会社インクス入社。3D CAD/CAMシステム、自律型エージェントシステムの開発などに従事。2009年に株式会社コアコンセプト・テクノロジー(CCT)の設立メンバーとして参画後、IoT/AIプラットフォーム「Orizuru」の企画・開発等、DXに関して幅広い開発業務を牽引。2014年より理化学研究所客員研究員に就任、有機ELデバイスの製造システムの開発及び金属加工のIoTについて研究を開始。2015年にCCT取締役CTOに就任。先端システムの企画・開発に従事しつつ、デジタルマーケティング組織の管掌を行う。2023年にKoto Onlineを立ち上げ編集長に就任。現在は製造業界におけるスマートファクトリー化・エネルギー化を支援する一方で、モノづくりDXにおける日本の社会課題に対して情報価値の提供でアプローチすべくエバンジェリスト活動を開始している。
(所属及びプロフィールは2024年8月現在のものです)

目次

  1. 創業140年超、多様なチャレンジと変化で造船事業撤退後も成長を続ける
  2. NTTデータからカナデビアへ、「10秒で行くと決断」した理由とは
  3. 部下はゼロ、嘱託社員として不眠不休でデータ移行のトラブル対応━その時の経験でチームが一体に
  4. 製品6割のIoT化を目指し、プラットフォームも内製
  5. 「魚は自分たちで採る」、内製のための外部指導で貫いたポリシー
  6. 新社名は「カナデビア」、創業時の精神を紡ぎ100年後も地球の役に立つ事業を

創業140年超、多様なチャレンジと変化で造船事業撤退後も成長を続ける

田口氏(以下敬称略) 長い歴史のある御社ですが、最初にカナデビアの事業概要、これまでの歩みについて、お聞かせいただけますか。

橋爪氏(以下敬称略) カナデビアは1881年に創業された非常に古い会社で、2024年で創業144年目になります。創業者であるアイルランド系英国人のE.H.ハンターという人が大阪鉄工所を作ったのが始まりで、造船事業というと官営の造船所払い下げからスタートするのが主流でしたが、当社は一外国人が創業した民間企業でした。

当時の大阪鉄工所工場
当時の大阪鉄工所工場

戦前、日立グループに100%移行し、社名を大阪鉄工所から日立造船に変更しました。戦争がなければ今も日立グループの一員だったかもしれませんが、戦後の財閥解体で日立から離れて現在は資本関係などもありません。

その後も事業を継続していくのですが、造船事業は収益性が悪くなり、2002年に事業譲渡し、造船事業を分離しました。今はごみ焼却発電施設を始めとする環境事業が主力の事業となっています。知らない方には、日立グループの造船会社だと勘違いをされることも多いのですが、現在は日立グループではなく、造船もしていない会社になります。

田口 ビジネスとしては、創業時から完全に別のものに変わっているんですね。それこそ日露戦争のころからあるような歴史ある企業は、規模は小さくして残しているようなイメージがあるのですが、大きな所帯を維持しながら変革しているというのは、ある意味稀なケースなのではないでしょうか。

橋爪 この会社はちょっと特別ですよね。私はこの会社に来る前はNTTデータにいて、いろいろな製造業のお客様と関わってきました。製造業の会社は変化をしても、やはり製造業の枠を出ないことが多いのですが、この会社は製造だけではなくプラントエンジニアリングも行うなど、多様な変化をしています。そしてさらに、これからも変化をしていく予感がする企業です。

この会社のすごいところは、造船事業をやっていたころから、事業の芽を生み出すべくたくさんのチャレンジをしてきたことです。例えば1960年代にごみ焼却発電の事業を始め、それ以来造船をしながら裏で環境事業に乗り出すんですね。当時の環境事業というのはそれほど収益性もなく、ともすると会社のお荷物のような存在だったかもしれません。ところがその後造船が不況になり、事業譲渡をした後に裏でやっていた環境事業を主力事業に置き換えていくんです。

もちろん造船の技術があったからこそのチャレンジではあります。大きなタンカーは大きな鉄板を曲げたり溶接したりしないと造ることができませんし、重油エンジンで動かすためには燃焼やタービンの回転、触媒などの知見も必要です。それらの技術があったからこそ環境事業もやれたという側面はあると思います。例えば洋上の風力発電の浮体も手がけているのですが、これなんていわば鋼鉄でできた浮きです。私から見ると、船に対するオマージュを感じますし、やはり船が好きなんでしょうね。

この道一筋というやり方ではなく、140年という長い歴史の中で、造船の技術を生かしながら新たな技術を身に付け、時代に合う社会に役立つ事業を考えて行ってきた、それがこのカナデビアという会社だと思います。

NTTデータからカナデビアへ、「10秒で行くと決断」した理由とは

田口 今少しお話がでましたが、もともとのNTTデータから、どのような経緯でカナデビアにいらっしゃることになったのでしょうか。

橋爪  NTTデータとカナデビアは、全く関係がない会社というわけではないんです。カナデビアに昔あった情報システムの会社をNTTデータが買った歴史があり、NTTデータ側からすると、カナデビアはITパートナーになります。

当社における私の前任の方は、私が今いるICT推進本部を作られた方で、ご自身がそろそろ役員定年で後任を考えた際に、今後はものづくりだけではなく、ITやデジタルにより一層力を入れないといけない時代が来る、そのためには外部から誰か牽引する人を呼んでくる必要があると考えたんですね。それでその方が当時の社長で現在相談役の谷所に相談して、谷所がいろいろと声をかけて人を探したんです。お伝えしたように当社とNTTデータのもともとのつながりがあった上に、NTTの副社長になった宇治さんという方がいて、谷所と宇治さんは高校と大学の同級生なんです。天王寺高校・京都大学の同級生で、京都大学のユースホステル部の仲間。めちゃくちゃ仲が良いんです。そんな関係もあり、私に声がかかったという経緯です。

なんだか自分がここに来たことに対して運命めいたものを感じるというか、やはり大事なのは人と人とのつながりなんだなと改めて思いますね。実際にこちらに来たのは6年前のことになります。

「なんだか自分がここに来たことに対して運命めいたものを感じるというか、やはり大事なのは人と人とのつながりなんだなと改めて思いますね」(カナデビア 橋爪氏)
「なんだか自分がここに来たことに対して運命めいたものを感じるというか、やはり大事なのは人と人とのつながりなんだなと改めて思いますね」(カナデビア 橋爪氏)

田口 最初に話しを聞いたときは、率直にどのようにお感じになりましたか。ある意味NTTデータに残れば安泰な将来もあったと思うのですが、カナデビアに来ようと決断した決め手はなんだったのでしょうか。

橋爪 話を聞いた瞬間、10秒後にはもう行く気になっていました。私は立場的にはNTTデータを役職定年しているんです。仮にその後、残ってグループ会社に行ったとしたら、それまでの流れである程度やれるでしょうし、ある意味安泰ではありますが、先が見えています。それよりは新しいフィールドで、自分がやってきたことがNTTデータの外に出ても本当に役に立つのか、やってみたいと思ったんです。NTTデータは強力な営業力を持っています。だからこそ自分も技術を生かした仕事をして利益を出すことができましたが、そうしたものがなくても自分のスキルが本当に事業会社の未来に役立てることができるのか、チャレンジしようと考えました。

しかもある意味、自社の課題解決をするのが仕事なので、1つの会社に集中することができます。それまでのような営業もいろいろなお客さんに対応することも必要もありません。さらに、相手に拒否されることもない(笑)。もし当社がもっと成長して、10年20年経った後から振り返ったときに、この成長のドライバーはあの時の改革のお陰だねとなって、その改革に自分が役に立っていたならば、ちょっと嬉しいじゃないですか。

そこから形式的には転職という形で当社に入社しました。後で聞くと、単なる転職ではなく会社と会社で人材をお渡しするという経緯を人事担当者同士はしっかりと認識してくれていたようですが、私は知らないので、ちゃんと自分で履歴書を書いて面接も受けたんですよ。

部下はゼロ、嘱託社員として不眠不休でデータ移行のトラブル対応━その時の経験でチームが一体に

田口 日立造船に入社なさって、まず課題に感じたことなどはありますか。

橋爪 この会社に来て感じたのは、やはり古くからある製造業の会社で、デジタル化をもっと進めないといけないということです。それから、この会社に限ったことではなくどこも同じだと思いますが、ITとかデジタルというものの地位が低いというか、担当者はパソコンの調子が悪くなったときに直す人、というような位置づけなんだなと思いました。それから事業に関して感じたのは、環境事業という素晴らしい強みがある一方で収益性が低い事業もあり、手広くやりすぎているということです。これからの10年20年、50年先を考えたときに、業務の効率化、デジタル化は必須だなと思いました。

私が来る前から、前任の方もデジタル化の必要性を考え、「先端情報技術センター(A.I/TEC)」という施設を作っています。これは、ごみ焼却発電施設の遠隔監視や、IoT(Internet of Things)、ビッグデータ、AIといったICT活用やオープンイノベーションの拠点です。こうした取り組みによってこれからはDXが重要だというメッセージを社内にも出せているので、私はこれを加速するためのいろいろな施策を組み立てていきました。

A.I/TECのRemote monitoring Operation support Center
A.I/TECのRemote monitoring Operation support Center

田口 いきなり外から来て協力者を作り、施策を推し進めるのは簡単ではないと思います。どのように取り組まれていったのでしょうか。

橋爪 私が来たのはちょうど特別な時期で、カナデビア(当時は日立造船)の基幹システムの全面更改がありました。しかしデータの移行などがなかなかうまくいかず、その年の第3クォーターの決算発表が1か月延期されたんです。もし、もう1回延期になると既に1度延期しているので、とんでもないことになるところでした。

一方で、当社では中途採用の1年目は嘱託社員なので、その時の私は部下が一人もいない嘱託社員です。ある程度身軽だったので、データの移行を手伝うことになりました。見てみると、移行プログラムがダメだったので移行データを全部直す必要がある。しかしお伝えしたように指示する部下もいませんし、手伝ってもらう人脈も社内にはありません。どこをどう直す必要があるかは、NTTデータ時代にやってきた経験でわかったので、結局は自分一人で手を動かして1万レコードくらいを修正することになりました。

近くにホテルもあるけれど、ベッドで寝泊まりする余裕なんてなく、机に突っ伏しながら不眠不休で手を動かしていましたね。今思うとかなり大変でしたが、この時があったからこそだんだんとこの会社のことを理解し、そしてみんなとチームとして一体になることができたと思います。決算発表自体は3月中旬に行うことができましたが、3月の後半くらいまで移行データを直して、4月1日からICT推進本部長に就任しました。本部長になってからは、さすがに自分でデータ修正をしたことはありません。

製品6割のIoT化を目指し、プラットフォームも内製

田口 いざという時に自分で手を動かしてなんとかする力を持っている、その姿を目の当たりにすると、その後の信頼感や一体感につながりますよね。本部長に就任なさって、今進めている施策、DX戦略について詳しくお伺いできますか。

橋爪 4月から本部長になり、着手したことの一つがIoTです。当時、当社の事業でお客様に納めている機械や設備は売り切りが多く、アフターサービスも電話がかかってきたら修理に伺うという形でした。納めている記録から時期を見て次の提案をすることはできるのですが、デジタルを活用した、もう一歩踏み出した顧客価値の向上が必要だと感じました。せっかく収めた機械や設備を顧客接点として、リアルタイムにつないでいくための一番良いツールはIoTです。製品の性質によってはつなぐことができないものも一部ありますが、それ以外はできるだけIoT化しようという方針を打ち立てました。

ただし、個々の事業部に任せて製品ごとにIoTを進めると、それぞれがITベンダーに声をかけて、ITベンダーごとに異なるソリューションを導入することが予想されます。そうすると、費用もかさむし、個別最適でそのあと全社的につなぐことができなくなってしまいます。そうならないように、最終的に目指す姿、すなわちこれからは作った製品を単発で売るのではなく、それらの製品を組み合わせてまたさらにソリューションにする、プラットフォームにするという戦略を示しました。

田口 具体的には、IoTで製品がつながることで、どのような展開が期待できるのでしょうか。

橋爪 例えば、再生可能エネルギーを使って水電解装置で水素を作り、それをごみ焼却発電施設で出てきた二酸化炭素と触媒反応させてメタンにします。それができれば、自然エネルギーだけで循環させることが可能です。それを事業としてやるためには、個別のIoTではなく、全てをつないでいく必要があります。風力発電の稼働状況、できた水素や二酸化炭素の量など、それぞれの情報を連携させて、プラットフォーム化していかないといけない。このプラットフォームについても、自分たちで手を動かし、内製で整備をしていきました。

それから、顧客サービスという点でも活用ができます。お客様に納めた製品が壊れてから修理をするのではなく、故障に至るまでの過程やその時の状況がわかれば、壊れる前に対処することが可能になります。これまでは何万時間で交換とか、定期的にメンテナンスするというやり方だったものが、状況によってはもっと延長したり、時期が来る前に修理をしたり、お客様の状況にあわせて対応できるんですね。故障してからの対応だと、いろいろな不都合があります。製品によっては値段もかさむので予備を置いていないものもありますし、一つのものが壊れるとそれが起因して、全体の操業が止まる懸念もあります。お客様によっては操業が止まるとペナルティが発生するような業種の方もいらっしゃるので、不具合を未然に防ぐことができれば、顧客価値の大きな向上につながるはずです。

現時点では、つなぐことができる製品が全体の6割ほどなので、60%を目標にIoT化を進めているところです。

「お客様に納めた製品が壊れてから修理をするのではなく、故障に至るまでの過程やその時の状況がわかれば、壊れる前に対処することが可能になります」(カナデビア 橋爪氏)
「お客様に納めた製品が壊れてから修理をするのではなく、故障に至るまでの過程やその時の状況がわかれば、壊れる前に対処することが可能になります」(カナデビア 橋爪氏)

「魚は自分たちで採る」、内製のための外部指導で貫いたポリシー

田口 今おっしゃっていたようなプラットフォームの統一というのは、具体的にどのようなものなのでしょうか。また、内製をすると言っても、一般的にはなかなか簡単にはできないのが実情ではないかと思います。どのようなやり方で実用化まで持っていったのでしょうか。

「内製をすると言っても、一般的にはなかなか簡単にはできないのが実情ではないかと思います。どのようなやり方で実用化まで持っていったのでしょうか」(Koto Online編集長 田口氏)
「内製をすると言っても、一般的にはなかなか簡単にはできないのが実情ではないかと思います。どのようなやり方で実用化まで持っていったのでしょうか」(Koto Online編集長 田口氏)

橋爪 ほとんどの事業で共有できるIoT基盤として作ったのがEVOLIoT(エヴォリオット)というIoTプラットフォームです。2021年から運用を始めて、今は、つなぐことができる製品はとにかく全てこのEVOLIoTにつなぐという方針です。

この EVOLIoTを内製したといっても、全てをイチから作り上げたわけではありません。基本的にはAmazonのクラウド、AWSで動いています。ただし、AmazonのWebサービスだけでは十分ではないので、データベースなど私達のオリジナルのプラットフォームにするためのプログラミングを一部組んでいます。

また、外部の専門家の指導も仰ぎました。その時も「魚の採り方は教えてもらうけれど魚は自分で採る、井戸の掘り方は教えてもらうけれど井戸は自分で掘る」というポリシーを貫きました。そうすることで、自分たちにスキルが身に付くんです。ICT推進本部のメンバーはこのやり方によって、確実にレベルアップしています。今は、AWSを使うだけではなく、外部から購入して使っていた可視化の画面なども、もっと使いやすくするために自分たちで作るなど、どんどん力をつけていますね。

田口 教わるだけではなく、実践で手を動かすことでスキルを身に付けていったんですね。

橋爪 そうですね。例えば機械から出てきたデータをいきなり見ても、最初は全く理解できません。これはこういう意味というフォーマットがあって、そのフォーマットのデータはどれぐらいの頻度でどれぐらい貯めておくべきか、どこかで一度集約したほうが良いか、その場合何年分を集めるか……そういうことは事業部のメンバーと話し合って、目的とやるべきことを理解して、現実のサービスに実装することを経験しないと本当にわかるようにはならないんです。

失敗しても良いので、まずやってみる。先ほどの魚釣りの例でいうと、最初は魚が採れなくても、やっていくうちにどのぐらいの深さに棚どこがあって、針の大きさはこれどのぐらいが適していて、とだんだん要領がわかってきますよね。ITも同じで、このやり方だとデータを全部見きれないとか、これがないと分析できないとか経験を経て、それなら端折りましょう、まとめましょう、もう少しデータを貯めましょうというやり方を少しずつ覚えていくんです。そうやって経験値を積んでいくことで、だんだんできるようになっていく。時間はかかりますが、あと10年くらい経てば、ICT推進本部のメンバーはNTTデータにも負けないくらいの立派なチームになると思っています。

新社名は「カナデビア」、創業時の精神を紡ぎ100年後も地球の役に立つ事業を

田口 頼もしいですね。そうした新しいことに取り組む土台、チャレンジを続ける風土というのは、御社の中に感じますか。御社自体が、主力事業を変えながらも成長してきた歴史がありますが、変化を許容する文化の源泉はどこにあるのでしょうか。

橋爪 戦前戦後と何度も大きな危機を経験しながら、それでも生き残るという意志を持ってやってきた会社なので、そもそもがレジリエントな会社だなと感じています。

外から来て感じるのは、創業の精神が浸透しているということです。みんなが、「ハンターさん、ハンターさん」と、事あるごとに言うんですよね。創業者の言葉が残り、銅像が建ち、経営幹部や社員の人たちの中に創業の想いが沁みついている。

ハンターさんが日本の地で、これからは製造業、鉄骨や造船の事業で行くぞと創業した想いというのは、間違いなくベンチャーな、スタートアップの気持ちだったんだろうと想像しています。当社の過去を振り返ると造船以外に途中で鉄道を作ってみたり、ミシンや梵鐘なんかも作ったりしていますからね。失敗しながらチャレンジするという歴史が140年以上続いているんです。新しいことをやるかどうかという時も、意思決定をする人たちの心の根底に、そうしたものがあるのではないでしょうか。

田口 今後の取り組み、将来の展望についてお聞かせください。

橋爪 我々は、今年の10月に社名を「カナデビア」に変更しました。日本語の「奏でる」とラテン語で「道」を意味する「Via」を組み合わせた造語で、「多様性を尊重し、たゆまぬ技術革新により、オーケストラがハーモニーを奏でるように、人類と自然に調和をもたらす新しい道を切り拓いて行く」という思いが込められています。

新しい名前だけ聞くと、何の会社かわからないですよね(笑)。私個人としては、製造業ですと言い切らなくてもいいのかなと思っていて、この会社は「グローバルデジタルカンパニー」になると言っているんです。グローバルはいけるけど、デジタルはどうなのと笑う人もいますが、私はできると思っています。この会社には、140年以上のものづくりで培ってきた豊富な知見があります。金属にめちゃくちゃ詳しい人とか、溶接なら何でも知っている人、燃焼なら任せろという人、そうしたさまざまなプロフェッショナルとエンジニアが一緒に話ができる環境がここにはあるんです。これはIT企業にはない大きな強みです。IT企業がそれをやろうとすると外の事業会社とやるしかありませんが、そんなに簡単ではありません。当社のデジタル人材、組織がIT企業並みのパワーをつければ、この強みを生かしてもっともっと成長していけると思っています。

まずは環境事業を通じて、社会に、地球に、100年後も皆さんのお役に立てる事業ができている会社にしていきたいですね。

田口 本日はありがとうございました。

橋爪 宗信氏(カナデビア株式会社、取締役兼常務執行役員、ICT推進本部長)

【関連リンク】
カナデビア株式会社 https://www.kanadevia.com
株式会社コアコンセプト・テクノロジー https://www.cct-inc.co.jp/

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