DXを進めるための人材不足に悩む企業が増えています。情報処理推進機構(IPA)がまとめた「DX白書2023」によると、DXを推進する人材が量の面で「大幅に不足している」と回答した企業の割合は、2021年度調査の30.6%から2022年度調査で49.6%と急増しました。
またDXを推進する人材が質の面で「大幅に不足している」と回答した企業の割合も、2021年度調査の30.5%から2022年度調査で51.7%と急増しました。日本企業でDXを推進する人材の「質」「量」の不足が増加した要因としては、この1年でDXに取り組む企業の割合が増加し、それに合わせてDXの推進に必要な人材に対するニーズが増えていることが考えられます。
DXの成功には、専門的なスキルを持った人材の確保と育成が不可欠です。しかし、DX人材には多様なスキルが求められ、企業にとって適切な人材やその要件を明確にすることは難しく、DX推進の大きな課題となっています。
このような背景を受けて、経済産業省とIPAは「デジタルスキル標準(DSS)」を2022年12月に公開し、全てのビジネスパーソンに求められるデジタルリテラシーと、DXを推進する人材の役割や習得するべきスキルの指針を示しました。デジタルスキル標準を活用するメリットや今年8月に生成AIに関する項目を追加した狙いなどについて、策定に携わったIPAのデジタル人材センター人材プラットフォーム部の藤中紀孝氏にお話を伺いました。
富士通株式会社において、局用ATM交換機の運用システム開発、サービス監視、第三期フィールドイノベータ。後に経営戦略室を経て、事業部長向けアジャイル浸透研修、企画。同社社長以下役員向けのTOP FIRSTプログラム(パーパス、デザイン思考、アジャイル)企画、運用。2021年、独立行政法人情報処理推進機構(IPA)へ出向し、同機構の社会基盤センター人材プラットフォーム部 研究員。
アジャイルWG事務局、冊子「アジャイルのカギは経営にあり」、「アジャイルプロジェクト実践ガイドブック」、「組織を幸せにする組織アジャイル5つの原則」等編纂。
デジタルスキル標準策定事業のプロジェクトマネージャー。2022年12月公開。2023年8月改定(生成AIに関する記載を追加)
目次
2段階で構成されるデジタルスキル標準
デジタルスキル標準は、上図のように「DXリテラシー標準(DSS−L)」と「DX推進スキル標準(DSS-P)」の2段階で構成されています。DXリテラシー標準は、全てのビジネスパーソンが身につけるべきデジタルリテラシーについて定義しました。DXの背景(Why)や、活用されるデータ・技術(What)、データ・技術の利活用(How)、マインド・スタンスの4つの項目を設定し、それぞれに学習のゴールや学習すべき項目の例を示しています。
DXリテラシー標準で重視しているのは、全てのビジネスパーソンがDXを自分事と捉え、企業の変革に向けて行動できる人材となることです。
今までのIT化は情報システム部門が進めてきましたが、DXは誰しもが自分からできるものだという意識を持つことが大切です。DXのきっかけは日常業務のさまざまな場面に埋もれています。例えば、「繰り返しの多い事務作業は自動化できるのでは?」といったように、デジタルを生かす思考法が従業員一人一人に求められているのです。
一方、DX推進スキル標準では、DXを推進する際に必要とされる専門性の高い人材を5つの類型に分類しました。それぞれの類型は、責任の範囲や業務内容に応じて2〜4つの「ロール」が設定され、それに紐づく具体的なスキルや学習項目の例が明示されています。
デジタルスキル標準を活用するメリットとは?
企業がデジタルスキル標準を活用するメリットはどんなところにあるのかと言えば、採用や育成といった人材マネジメント全般で、企業としての基準を作りやすくなるところにあります。
まず、採用の面で見ると、採用する企業と応募する人材との間に生じるミスマッチを防ぐことができます。企業が人材を採用する際、目的にあるのはあくまでも事業の遂行ですので、求められる人材の要件や必要なスキルまでは、落とし込みづらい側面があります。
一方、応募者は仕事内容を想定して、例えば「AIを業務で活用したい」といった具体的な手段で捉えがちです。ここで、デジタルスキル標準を活用することで、人材要件とそれに対応するスキルを紐付けることができ、こうした両者のギャップを埋める共通言語として活用できます。
さらに、育成の点に目を向けると、デジタルスキル標準は個々人の学習の指針となり、従業員のスキルアップを後押しできるツールとして役立ちます。研修事業者はそれぞれ独自の体系で育成プログラムを案内しており、企業や個人は適切な研修を選択しづらい側面がありました。
しかし、デジタルスキル標準の策定によって、企業を超えた共通の基準が示されたことで、研修コンテンツで学べるスキルが明確になり、スキルアップのためのロードマップを描きやすくなったのです。デジタルスキル標準を活用して研修コンテンツが作成・改善されることで、より効果的な研修が提供できるようになり、人材育成市場が活発化することを期待しています。
改訂版で生成AIの項目を追加、正しく理解して正しく活用を
デジタルスキル標準は、基準となる指標の役割を果たす一方で、デジタル領域の特性から柔軟性も十分に担保して設計されています。デジタル領域というのは、常に変化が激しく定まらないものです。そのため、デジタルスキル標準の利用者(企業・組織、個人、研修事業者等)のフィードバックを得ながら、継続的に見直しを行っております。
実際、デジタルスキル標準のver.1.0は2022年12月に公開されましたが、2023年初め頃から急速に普及・進化している生成AIの現状を考慮し、今年8月にはDXリテラシー標準の部分を改訂した「デジタルスキル標準ver.1.1」を公開しました。
今回の改訂には大きく2つの側面があります。まず1つ目は「変えない部分」です。DXリテラシー標準は標準として普遍的な内容となるよう策定しているため、「DXリテラシー標準の全体像」で示した基本的な構造は変えていません。
そして、2つ目の側面としては「変えた部分」です。各項目の内容や学習項目例等に対して、AIの技術動向やデータ・ツールの扱い、プロンプト(*)の手法、およびコンプライアンス等のリスク面など、生成AIに関係する要素を新たに追加しました。特にマインド・スタンスの部分においては、新たに生成AIの利用に関する考え方を補記として取り入れました。セキュリティや法的・倫理的な問題など、生成AIの利用には確かにリスクが伴いますが、そのリスクを理解し、対処しながら生産性向上やビジネス変革等へ適切に利用することの重要性を強調しています。私たちがネット検索やフェイクニュースに対して持っている警戒心と同様に、生成AIのリスクも理解しつつ、その力を積極的に利用することが必要だと考えています。
野村総合研究所の調査によると、OpenAI OpCo, LLCが公開するChatGPTへの日本からのアクセス数は、米国、インドに次いで3番目と高い水準にあります(*1)。一方、ボストン・コンサルティング・グループの調査によると、生成AIの企業での導入率は世界平均の40%に対し、日本は24%(調査対象18ヵ国中16位)と低く(*2)、むしろ遅れている現状が明らかになりました。政府は生成AIの活用を積極的に推進する方針を打ち出しており(*3)、この方向性をデジタルスキル標準に取り入れることで、企業での導入と活用の促進を目指しています。
デジタルスキル標準は自らの事業の方向性に合わせた具体化が不可欠
デジタルスキル標準の策定の背景には、各企業でデジタル人材の不足が問題とされる中、具体的にどんな人材が不足しているのか、明確な基準がないことが多く見受けられるという課題がありました。
デジタルビジネスを進める際の体制は、事業体や事業ステージ、対象となる顧客によってさまざまです。そこで私たちは共通のテンプレートとなる要件を定めることで、人材採用や育成の際のコミュニケーションのきっかけとなることを目指しました。これにより、求められる人材やスキルの基準が明確になり、人材確保のミスマッチを防ぐ狙いがあります。
デジタル人材の要件に関しては多岐にわたる議論がありますが、デジタルスキル標準を通して指針を示せたと思います。一方で、デジタルスキル標準は汎用性を持たせた表現にしています。そのため、個々の企業・組織への適用にあたっては、各企業・組織の属する産業や自らの事業の方向性に合わせてカスタマイズすることを前提として公開しているものです。そのため、この基準に沿った人材をそろえたとしても、必ずしもビジネスが成り立つわけではありません。それぞれの企業が自社の事業戦略に即して、この基準を適切に活用してほしいと考えています。
なお、具体的な要件の検討段階では、標準の使いやすさを重視しました。A4用紙1枚で全体を図示できるように設計し、企業が自社の状況を俯瞰して捉えられるようにしました。これにより、必要なリソースや補うべき項目が一目で分かり、採用や研修での判断軸となることを目指しています。
デジタルスキル標準を活用したDX推進 3つのポイント
最後に、デジタルスキル標準を活用してDXを推進するために、企業がとるべき姿勢とはどのようなものでしょうか。重要と思われる3つのポイントをお話しします。
まず1つ目として、DXを自分事として捉えてもらうことが大切です。DXリテラシー標準は、全てのビジネスパーソンに向けた内容になっており、デジタルに関する基本的な考え方を身につけることができます。DXの進捗は、マーケティングのキャズム理論(*)と似ています。全員が一斉に始めるのは難しいかもしれませんが、少しずつできる人を増やしていくことで、最終的には多くの人が自分事と捉えこれまでの壁だと思っていたことを乗り越えた先にDXが実現できるでしょう。そのためには、デジタルに対する最低限の知識が欠かせません。
2つ目のポイントは、必ずしも全てが成功するとは限らないということを受け入れる姿勢です。従来のものづくりの現場では、高い品質と歩留まりが求められてきましたが、デジタルの世界は違います。例えば、欧米では起業後5年間で5割以上の企業が市場から退出しているというデータがあります。デジタルの世界ではうまくいかないことが当たり前です。だからと言って失敗を恐れるのではなく、デジタルスキル標準を参考にスキル・知識を身につけ、繰り返し挑戦してみようという組織風土にしていくことがDXの第一歩となります。
3つ目のポイントは、既存事業の人材と分けて、新規事業を創出できる人材を増やすことが必要です。DXでは、これまでの方法や考え方だけでは出てこない新しい価値を創出することが求められます。そのためには、これまでの成功体験を批判的に見つめることが欠かせません。デジタルスキル標準を参考に、自社の戦略上にある、新規事業を推進するのに必要な人材のスキル・知識が自社でどれくらい不足しているかを可視化することができます。その上で人材確保のために、ロールの定義やスキル項目、学習項目例を参考に職務記述書の作成を行うことができます。
デジタルスキル標準の詳細については、IPAの公式サイトをご覧ください。少しでも興味を持たれた方は、まずは概要版だけでも目を通していただければと思います。また、IPAではデジタル人材育成プラットフォームのポータルサイト「マナビDX(デラックス)」を運営しています。マナビDXでは、研修事業者等が提供する学習コンテンツと、デジタルスキル標準などのスキル標準を紐づけて掲載しています。経済産業省、IPAの審査基準を満たしたさまざまな講座がデジタルスキル標準を使っても検索できる上、受講費用の補助が受けられる講座や無料の講座も紹介しています。ぜひ、この機会にデジタルスキルを磨いてみてください。
<インタビュー後記>
DXを進めないと2025年以降に年間12兆円の経済損失が生じるとされる「2025年の崖問題」が迫る中、DXの取り組みは企業にとって急務となっています。その足がかりとなるのは、DXを担う人材の確保と育成です。デジタルスキル標準が策定されたことで、これまで多様だった人材要件が整理され、人材の採用や育成がしやすくなりました。デジタルスキル標準を理解し、自社の状況や必要な人材を明確にすることが、DX推進の突破口となるのではないでしょうか。
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