133年の歴史を誇り、オーラルヘルスケアを中心に、プロダクトやサービスの提供を通じて歯みがきや手洗い、洗濯といった人々の「習慣」づくりを目指す、ライオン株式会社。中長期経営戦略フレーム「Vision2030」を策定し、デジタルを活用したさらなる成長に向け、さまざまな取り組みを進めています。
「ものづくりDXのプロが聞く」は、Koto Online編集長の田口紀成氏が、製造業DXの最前線を各企業にインタビューするシリーズです。今回は、数々の企業でデジタル戦略立案などに携わり、2024年4月からライオン全社のデジタル戦略担当に就任した執行役員の中林紀彦氏を迎え、ライオンが取り組むデジタル戦略の推進や独自の生成AI活用、従業員のリテラシー向上を目指した人材育成方法などについて、お話を伺いました。
日本アイ・ビー・エム株式会社においてデータサイエンティストとして企業の様々な課題を解決。その後、株式会社オプトホールディング データサイエンスラボ副所長、SOMPOホールディングス株式会社チーフ・データサイエンティスト、ヤマトホールディングス株式会社の執行役員を歴任し、2024年4月にライオン株式会社の執行役員に就任。全社デジタル戦略担当としてグループ全体のIT・デジタル・データに関する戦略立案と実行を担う。
2002年、株式会社インクス入社。3D CAD/CAMシステム、自律型エージェントシステムの開発などに従事。2009年に株式会社コアコンセプト・テクノロジー(CCT)の設立メンバーとして参画後、IoT/AIプラットフォーム「Orizuru」の企画・開発等、DXに関して幅広い開発業務を牽引。2014年より理化学研究所客員研究員に就任、有機ELデバイスの製造システムの開発及び金属加工のIoTについて研究を開始。2015年にCCT取締役CTOに就任。先端システムの企画・開発に従事しつつ、デジタルマーケティング組織の管掌を行う。2023年にKoto Onlineを立ち上げ編集長に就任。現在は製造業界におけるスマートファクトリー化・エネルギー化を支援する一方で、モノづくりDXにおける日本の社会課題に対して情報価値の提供でアプローチすべくエバンジェリスト活動を開始している。
目次
数々の企業でデジタル戦略立案などを経験し、2024年4月からライオンへ
田口氏(以下、敬称略) 長い歴史のある御社ですが、まず、これまでの歩みや事業概要、取り組んでいる事業展開について、教えてください。
中林氏(以下、敬称略) 当社は創業が1891年で、2024年の10月30日で133歳を迎えました。昨年度の売上は約4,000億円、連結の従業員数は7,550人になります。国内では12拠点、グループ・関係会社9社を展開し、海外ではアジアを中心に11拠点で事業を展開しています。
ご存知いただいている方も多いかもしれませんが、事業の柱は一般用消費財で、オーラルケア製品のハミガキやハブラシ、ビューティケア製品のハンドソープやボディソープ、それから衣料用洗剤や浴室用洗剤、トイレ用洗剤、OTC医薬品などを製造・販売しています。また、化学品メーカーとしてBtoBのケミカル製品なども取り扱っています。
我々は製造業ではありますが、モノだけではなく「習慣」をつくると自負し「より良い習慣づくりで、人々の毎日に貢献する(ReDesign)」というパーパス(存在意義)を掲げています。例えば毎日歯をみがく、帰ったら手を洗う、衣類を洗濯する…そうした習慣をつくり、その習慣を実現するためのプロダクトを提供しているという考え方ですね。
特にオーラルヘルスケアによる健康の習慣をつくっていくことを事業の中心に据え、古くから全国で小学生の歯みがき大会を開催してきた歴史があり、最近は予防歯科にも注力しています。近年、多くの研究、エビデンスによって口の中の健康が全身の健康に大きく関係することが明らかになり、歯周病の予防や高齢者の口腔機能の維持など、予防歯科の重要性が改めて認識されるようになりました。当社としては、日本はもとより、アジアにも広く事業を展開し、オーラルヘルスケアを中心とした衛生習慣の浸透を目指しています。
また、環境保全にも力を入れており、過去には無リンの衣料用洗剤や、原料が植物由来の石鹸を製造しております。近年も節水型の製品の開発を通じて、サステナブルな地球環境への貢献を目指しています。
田口 中林様は、2024年に御社に入社したばかりと伺っています。これまでのご経歴やライオンで全社のデジタル戦略を担うに至る経緯などについて、お伺いできますか。
中林 まず経歴から説明させていただきます。大学では化学工学を専攻していたのですが、どちらかというとコンピュータサイエンス、コンピュータシミュレーションを研究テーマにしていました。化学というと試験管で実験をしているイメージですが、私の場合は試験管ではなくキーボードを叩いて、コンピュータシミュレーションの成果で論文を書いて卒業しました。
ちょうど1990年代はインターネットが出始めたころで、インターネット環境を自分たちで手作りして、いろいろ試していましたね。サーバーがまだまだ高価だったので、パーツを買ってきて組み立てて、それこそLinuxを自分たちで入れたり、サーバーを作ったりしていました。そのころの経験が、その後社会に出てから、そして現在でも大きく役に立っています。
田口 現在、デジタルのフィールドで活躍されている背景には、そうしたご経験もあるんですね。卒業後のお仕事についてもお伺いできますか。
中林 卒業後はITを使った仕事をやりたいと思い、最初にアルプス電気のIT部門でキャリアをスタートさせました。その後IBMに転職をして、アナリティクスデータや、アナリティクス周りのソリューションをクライアントに提供する仕事に携わりました。IBM時代は、まさにインターネットの普及とともにものすごい勢いでデータが増えていき、情報爆発とかビッグデータなどという言葉が飛び交っていたころです。100社以上のクライアントとディスカッションしながら、データを使ってどう企業価値を上げていくか、日々奮闘していました。
その仕事を続けるうちに、外からクライアントのお手伝いをするだけではなく、自分自身が事業側に入って企業価値を上げるところまで携わりたい、ドライブさせるところを自ら経験したいと考えるようになりました。その意向に沿って、IBMを卒業した後はずっと日本の企業で仕事をしています。インターネット広告代理店の持株会社オプトホールディングス(旧社名)、SOMPOホールディングス、ヤマト運輸に勤務し、デジタル戦略の組織を立ち上げたり、データ周りの環境を作ったり、またデータドリブン経営の戦略を実行したりしてきました。こうした経験からお声がかかり、2024年の4月からライオンで全社デジタル戦略担当として、グローバルを含めたデジタルの戦略を作って実行するという責任を預かっています。
需要予測に基づいた経営資源配分、生成AIの活用など、全社ですすむデジタル戦略
田口 現在御社では、Vision2030、それからそのビジョン実現に向けた戦略を推進しているところだと思いますが、いろいろな企業のデジタル戦略を担ってきたご経験から、ライオンでデジタル担当として戦略を実行するにあたり、中林様の目から見て感じた課題、今後注力したいと考えていることなどはありますか。
中林 これという大きな個別の課題はないのですが、全体的にもう少しブラッシュアップして底上げできないかと考えています。例えばデジタルの基盤整備、デジタル戦略部の組織としてのケイパビリティ(他社より優れた強み)、ビジネスサイドのメンバーのスキルやリテラシーなどを更に引き上げることができれば、もっといろいろなことができるようになるはずです。このツボを押せば全部が解決するというものはないので、少し広く見て、2030年に向けて戦略を実行しゴールを目指すために何をやるべきか、整理しているところです。
田口 具体的に、データ活用で実現したいこと、強化したいことなど、お聞かせいただける範囲でお考えのものを教えていただけますか。
中林 デジタルプラットフォームの整備をした上で実現したいのは、よりデータドリブンな経営です。データを使って、高度化・精緻化した需要予測を行い、それに基づいた経営資源の配分ができるよう、経営企画のメンバーと取り組んでいるところです。細かい単位での需要予測は行っているのですが、もう少し抽象度の高いところで行い、経営視点にも生かしたいという目的です。私が入社する以前に基幹システムであるSAPがすでに導入されており、データが蓄積されて活用できる状態になっています。それをもっともっと活用していきたいというのが一つ目指すところです。
それから、研究開発サイクルの効率化、高速化にも現在取り組んでいます。例えばハミガキの組成開発は難しく、最初に組成を構想して作ってみて、だめだったらまた別の組成というやり方で実験を繰り返すんです。それを最近、マテリアルズ・インフォマティクス(機械学習などを活用して、素材開発を効率化すること)のように、一定のデータに基づいて機械学習で組成をAIに考えさせることを始めています。まだまだ成果にばらつきはありますが、ベストケースだと今までの組成検討の時間が半分にまで短縮できたという結果も出ています。
田口 まさに、学生時代に行っていた化学領域のシミュレーションと通ずるものがありそうですね。生成AIに関しても、御社ではいろいろな活用をなさっていると伺いました。今の取り組み状況を教えていただけますか。
中林 生成AIに関しては、大きく分けて二つの活用を始めています。一つは、「LION AI Chat」といって、グループの国内従業員に向けた対話型の生成AIです。これは、公開されているAzure OpenAI Serviceなどを使って開発したもので、例えば私のように中途で入社した社員が就業規則を知りたいと思ったときにすぐに答えを見つけられるようなソリューションです。特に総務や人事部門など、従業員からたくさんの問い合わせが来る部署の社内対応を生成AIで代替できるツールになっています。
もう一つが、「知識伝承AI」と呼んでいる、研究開発部門の社内データと連携したツールです。報告書や論文など、社内には研究開発に関する膨大なドキュメントがたまっています。例えば先ほどお伝えしたような組成開発のフェーズでは、そうした多くのドキュメントを読み込みながら新しいものを作っていくのですが、検索や読み込みの作業にものすごく時間がかかっていました。それを生成AIで代替することで、すぐに情報を抽出したり、複数のドキュメントにまたがる内容を整理したりできるようになりました。インターフェースも使いやすいものにして、検索に関しては、今まで5分から10分かかっていた作業が2分以下でできるようになっています。
さらに進めているのが「生成AIの民主化」です。いろいろな部所によって業務内容や解決したい情報は異なっていますが、それに私たちデジタル戦略部が1個1個すべて対応していくと時間がかかってしまいます。そのため、従業員が自分たちでカスタマイズできるツールも含めて事業部門に展開し、各部門、業務ごとに専用のカスタムエージェントを作りそれをアシスタントにして自分たちでどんどん効率化できるようにしています。将来的には、日常的に毎日触っているWord®️やExcel®️のように、生成AIを使いこなせるようにしていきたいですね。
全社のリテラシー向上に必要なのは、丁寧なコミュニケーションと使いやすい、実業務に沿ったコンテンツ
田口 そうした取り組みを社内に根付かせていこうと思うと、従業員のリテラシーを上げていくことも必要になってくるかと思います。いろいろな企業のデジタル担当の方にインタビューをさせていただくと、社内のリテラシーがなかなか追いつかなかったり、デジタルに対する苦手意識のようなものがあったり、特に大きな企業では全体のリテラシー向上に課題を抱えていらっしゃるところが多いと感じるのですが、社内の教育については、どのように考えていますか。
中林 やはり、最終的には個々の人間に帰着するので、組織やマネジャーによってリテラシーにかなりばらつきがあるのは確かです。とはいえ、皆さん日常生活では普通にスマホやタブレット、パソコンを使っていろいろなツールを使いこなしているはずです。そう考えると、UIやUXを含めてしっかり作りこんだ使いやすいものを提供できれば、どなたでも一定程度使いこなせると考えています。
それから、実際の事業や業務内容にフィットさせたものを提供することも大切ですね。例えば、いろいろなところからデータをダウンロードして、手元のパソコンでExcel®️を作りこんで作業している従業員が多いのですが、データが一元化されているプラットフォームを作り、きれいに整備された必要なデータセットをダウンロードできるようになれば、作業が効率化でき、時間短縮につながるはずです。仕事が楽になる、というモチベーションがあればどんどん使いこなせるようになっていくのではないでしょうか。さらにはSQL(データベース言語。データベースにデータを格納したり、一定条件に沿ったデータを抽出したりできる)など新しいことも覚えてもらい、一定程度の集計ができる人材を事業部サイドに作りたいと考えています。
使い勝手の悪いものや業務に沿わないコンテンツをそのまま渡しても恐らく身につかないと思いますが、あなたたちの仕事に役立つからこれを学んでね、こういうスキルが必要なんだよ、と丁寧なコミュニケーションを取り、合わせて必要な教育コンテンツを提供していくことができれば、学ぶ人も増え裾野が広がるかなと思います。
田口 スキルやリテラシーに関して、世代の差はやはり感じますか。
中林 それはすごくありますね。僕は2014年にできた筑波大学大学院のコースでアナリティクスの講義を担当し学生に教えているのですが、この10年で学生のデジタルリテラシーが圧倒的に変わってきているのを感じます。
2014年に講義を始めた当初は、Pythonなんてそもそも知っている学生もおらず、本屋に行っても日本語の本がないといった状況でした。学生にPythonをインストールしてもらってデータ分析や機械学習のやり方をイチから教えていたのですが、最近はもうすでにディープラーニングを使った卒論を書いてくる学生もいて、かなり使いこなしています。
学生のリテラシーがどんどん上がってきていて、そろそろ生成AIネイティブの学生も出てくるはずです。そういう変化を間近に見ているので、多くの従業員が現場で当たり前に生成AIを使いこなす世界もそう遠くはないのではないかなと思っています。
研究開発部門などは学生時代にPythonを学んできたようなリテラシーの高い若者が既に増えているので、そうした進んでいる部門にはもっとデータを使える環境を提供して、自分たちで自由にデータを活用できるようにしていけば、開発サイクルなどももっと早められると思います。
逆を言うと、今いるメンバーのスキルアップやリスキリングをしっかりやっていかないとバランスが悪くなってしまいます。現存メンバーのリテラシーアップという点は課題の一つかもしれません。とはいえ、当社はもともとデータドリブンでものを考える文化があり、デジタル戦略を推進するための素地はできていると感じています。
田口 人材という観点でいくともう一つ、採用に関してはいかがでしょうか。お話を伺っていると、今後やっていこうとすることは範囲も広くボリュームがあります。戦略推進のためには積極的な採用をお考えではないかと思うのですが、特に人を集めたいと考えている領域などはありますか。
中林 現在は、アプリ開発やWebサービスの開発などをベンダーさんなど外部に依頼している部分が多分にあります。もちろん企画は内部でやっていますが開発力がまだまだ足りてないところがあるので、そこを内製化する部隊を新設できるように人材採用を行っています。ほかにもデータプラットフォーム基盤を作る人材や需要予測のためにPythonで機械学習ができるエンジニアもまだまだ不足していますね。
それから、ライオン自身も副業を認めていますし、今は雇用形態がかなり柔軟になってきています。100%のフルコミットではなくても、副業人材を含めて積極的に登用し、あわせて内部の人材育成も進めていく方針です。良い人材を集めて、スピード感と柔軟性を持った形のデジタル組織を作っていきたいと思います。
そして、2030年に向けた会社の戦略をデジタルで力強く推進していきたい、そう考えています。
【関連リンク】
ライオン株式会社 https://www.lion.co.jp/ja/
株式会社コアコンセプト・テクノロジー https://www.cct-inc.co.jp/
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