(本記事は、福本 勲氏の著書『製造業DX - EU/ドイツに学ぶ最新デジタル戦略』=近代科学社Digital、2024年1月26日刊=の中から一部を抜粋・編集しています)
EUの分散×ネットワーク型の取組み
ここでは、EUにおける分散×ネットワーク型(DX)の取組みや、それを支えるデータ連携基盤構築の動きを取上げる。
EUが進めるデータ連携基盤構築の取組み
前述のように、インダストリー4.0では当初から概念としてデジタルファクトリーからデジタルエンタープライズ、デジタルエコシステムを経て、デジタルエコノミーへ向かうということが語られてきた。EUでは、インターネット普及前の1995年に個人データの取扱いに係る、個人の保護および当該データの移動に関して定めた「EUデータ保護指令(Data Protection Directive 95)」(個人データの取扱いに係る個人の保護及び当該データの自由な移動に関する欧州議会および理事会の指令)が制定されている。そして、2016年5月にはデジタル化社会に適合した個人データ保護規定である「EU一般データ保護規則(GDPR:General Data Protection Regulation)」が発効、移行期間を経て2018年5月に適用開始され、EU規則として加盟国に適用されている。
GDPR以外にも、デジタル・プラットフォーマーの活動に大きな影響を与え得る、さまざまなルール整備がEUでは行われてきた。GDPRが発効された2016年5月に、欧州委員会は「オンライン・プラットフォームと単一デジタル市場:欧州にとっての機会と挑戦(Online Platforms and theDigital Single Market:Opportunities and Challenges for Europe)」という政策文書を公表し、デジタル・プラットフォーマーに関する法規制の改革を行っている。
欧州委員会は、2019年から2024年までの優先課題のひとつに、「デジタル時代にふさわしい欧州(A Europe fit for the Digital Age)」を掲げており、これに沿って2020年2月に「欧州データ戦略(A European Strategy for Data)」を公表した。この戦略はデータの単一市場である「欧州データ空間(European Data Spaces)」の構築を目標としたものであり、EU圏の企業がデータを共有できる制度を構築することで産業データ活用を進めることを狙ったものと言え、この後説明するデータ連携基盤構築の動きはこれに準じたものと言える。また、個人データを押さえつつある米国のGAFAM(Google<Alphabet>、Apple、Facebook<Meta Platforms>、Amazon、Microsoft)や中国のBAT(百度(Baidu)、阿里巴巴集団(Alibaba)、騰訊(Tencent))などのプラットフォーマー企業への対抗措置の意味も持っている。
欧州データ戦略には、公正かつ競争がある経済をさらに発展させ、EU市民に役立つ技術開発を進め、オープンで民主的な社会を支えることを目的とした複数の計画が記されており、その中核は「EUに単一のデータ市場を構築すること」にあるとされている。EUは従来、GAFAMなどに個人データを独占されないためにGDPRなどで規制しようとしていたが、欧州データ戦略発表後はただ対抗するのではなく、自らの強みである産業データの活用を目指すという方向に転換を始めている。
EUの主要企業の工場にあるロボットや設備、製造された製品には産業データが大量に蓄積されており、こういったデータの活用に着目していることがポイントのひとつと言える。
EUにおいては2016年に設立した、International Data Spaces Association(IDSA、設立当時の名称は、IDS(Industrial Data Space))がデータ主権に関する標準を策定している。
このデータ主権に準拠する形で、具体的な手段としてGAIA-X、Catena-X、Manufacturing-X、Cofinity-Xといった団体が設立され、つながりをつくっていくという動きが継続している。これは、EUにおける分散×ネットワーク型(DX)の取組みを支えるデータ連携基盤構築に向けた動きと捉えることができる。
この後記述をするGAIA-XやCatena-XなどのEUのデータ連携基盤構築イニシアティブでは、データインフラを利用する際のセキュリティ、データ主権を維持したデータ交換、データ利用カタログ、個人データ保護に関する共通ルールや標準を定めているが、特にデータ主権を重視していることがポイントである。
ここ数年、インダストリー4.0が発表されたハノーバーメッセの、インダストリー4.0の推進団体であるPlattform Industrie 4.0ブースでは、デジタルプロダクションの標準化と、国内および国際的に調整する役割を担うSIC4.0、次世代の信頼できるデータインフラを構築するために協力し、実現を目指すGAIA-X、自動車のサプライチェーンに関わるすべての人のためのプラットフォームを作成することを目指すCatena-X、デジタルツインの未来を積極的かつ革新的に形成する強力なアライアンスを提供するIndustrial Digital Twin Association(IDTA)などが共同展示を行っている。2023年は、これにManufacturing-X、Cofinity-Xが加わった。
このように、インダストリー4.0は推進団体であるPlattform Industrie4.0を中心にさまざまなプロジェクトを立ち上げているわけだが、それらが連携してプロジェクトを推進している体制が明確に認識できるようになってきた。ドイツが製造業の革新とそれによる社会課題の解決に積極的に力を入れていることの現れだと感じている。
焦点となるデータ連携基盤は、インダストリー4.0が2013年のホワイトペーパーで打ち出した「つながるバリューチェーン」のコンセプトを実践するものと言える。当時2035年までのロードマップがひかれた長期の取組みとして示されていたインダストリー4.0の取組みは、着実に前進しているということだと感じている。ここからはこういった一連の取組みについて紹介する。
欧州統合データ基盤プロジェクト「GAIA-X」
(1)GAIA-X設立とその背景
欧州統合データ基盤プロジェクト「GAIA-X」が、2020年6月に正式発足された。ドイツ主導で立ち上げられ、フランスとともに準備が進められてきたGAIA-X発足の背景には、クラウドコンピューティングやデジタルプラットフォームビジネスの分野で米国や中国に対し、後れを取っていることへのEUの危機感があると言われる。
DXの取組みの進展に伴い、データは21世紀の石油とも呼ばれるようになり、ビジネスにおいて極めて重要なものになっている。現在、世界のデジタルデータの多くは米国GAFAMや中国BATなどが提供する巨大プラットフォーム上に集約され、その上で解析や活用が行われている。
EUも例外ではなく、EUで発生したデータもこれらの巨大プラットフォーマーの新たなビジネスに利用され、EU自体のデジタルエコノミーの実現に結び付いていないことが懸念されてきた。このため、EUがデジタルエコノミーの実現に向けて巻返しを図るには、蓄積・処理・活用されるデータの管理をEU外の企業に依存せずEU自身で実行できる技術環境の整備が必要と考えられ、デジタル主権の確立を最大の目標に、EU独自のデータインフラを構築するGAIA-Xプロジェクトが発足された。
GAIA-Xの目的は、EU域内外の企業のさまざまなクラウドサービスを単一のシステム上で統合し、業界をまたがるデータ交換を容易に行える標準的な認証の仕組みを通じて、インターオペラビリティを実現することにあるとされる。この点から見れば、GAIA-Xは既存のクラウドベンダーを置換えるものではなく、その補完的な役割を担うものと考えられる。
つまり、EU/ドイツはクラウド基盤はすでに非競争領域になっていると考え、米国GAFAMや中国BATにコンシューマ分野のデータを牛耳られた反省から、優劣がついたクラウド基盤の消耗戦を避け、モノに関するデータの流通とデータガバナンスを用い、社会全体にデータの恩恵を配分する政策をとったということだと考える。
以前から米国や中国のようなビッグテック企業に匹敵するような投資ができる企業はEUにはない状況であることが課題視され、特にBtoBにおける問題が提起されていた。GAIA-Xが重要としているデータ主権についても、当時からデータは集めるものではなく、誰がどのデータを持っているのかをしっかり把握できてさえいれば良いということが話されていた。EUは、GAFAMのようにデータをどこかに集めるアプローチではない方法で、産業データ連携基盤を構築したわけである。互いを信頼(トラスト)できる仕組みも用意し、データを誰かが集めて何かをやるのでなく、データは分散していても構わないが、信頼できる人が特定の条件の下にアクセスできればGAFAMと同じことができるという考えでGAIA-Xを用い、EUはアプローチしているのだろう。
こうした壮大なプロジェクトを進めるには、EUの政府や企業が一体となりプラットフォーム構築を推進する必要がある。GAIA-Xにはドイツ企業では、ボッシュ、SAP、ドイツテレコム、ドイツ銀行、シーメンス、フェストなどの大手・中堅企業が名を連ね、フランスの大手ITコンサルティング会社のAtosなども参加している。
(2)GAIA-Xの目的とリファレンス・アーキテクチャー
GAIA-Xは、以下の7つの原則に基づいてEU域内に存在する通信インフラや設備、産業・個人データの収集・活用、デジタルプラットフォームを統合するデータインフラの構築を目指している。
①EUのデータ保護
②開放性と透明性
③信頼性と信頼
④デジタル主権と自己決定
⑤自由な市場アクセスとEUの価値創造
⑥モジュール性とインターオペラビリティ
⑦使いやすさ
GAIA-Xでは、前述の原則を実現するためのアーキテクチャー(リファレンス・アーキテクチャー)が検討されており、基本モデルは次の3レイヤーで構成される。
①各産業部門から生成されるデータのインターオペラビリティやポータビリティを実現する「データエコシステム」レイヤー
②クラウド、高パフォーマンスコンピューティング、クラウド、エッジコンピューティングのインターオペラビリティを実現する「インフラエコシステム」レイヤー
③データインフラを利用する際のセキュリティ、データ主権を維持したデータ交換、データ利用カタログ、個人データ保護に関する共通ルールや標準を定める「フェデレーションサービス」レイヤー
GAIA-Xの組織は大きくGAIA-X AISBL(Association internationalesans but lucratif(仏語):国際非営利団体の意)、GAIA-X Community、GAIA-X Hubsの3つに分かれている。
GAIA-X AISBLにはアーキテクチャーやフェデレーションサービス(一度認証を通れば、その認証情報を使って許可されているすべてのサービスを使えるようにするサービス)などのワーキンググループが配置され、GAIA-X Communityにはデータ主権やインターオペラビリティなどを検討するワーキンググループが配置されている。GAIA-X Hubsは、GAIA-Xコミュニティを活性化するために参加国単位で設置され、国単位のユーザーエコシステムの情報発信の場となる。そして、各国のGAIA-X Hubsが一体となって、GAIA-Xの実装を推進するネットワークが形成されることが期待されている。
2020年10月にはEU27か国が「Building the next generation cloud for businesses and the public sector in the EU」という共同宣言を行い、2021年から2027年の7年間で20億ユーロ(約3,200~3,300億円)を拠出し、各国の企業投資と合わせて総額100億ユーロ(約1兆6,000億~1兆7,000億円)の投資を行うことが合意された。この中でGAIA-Xは産学連携の代表的な取組みと位置付けられており、この取組みには暗号資産(GAIA-Xトークン)を発行してGAIA-Xの市場通貨として使用する計画も含まれている。
ユースケースとしてはスマートリビング(より上質で快適な生活を実現するためのサービス)、金融、公共部門、移動・交通、農業などが挙げられており、GAIA-Xにより各分野のデータを活用した新たなビジネスモデルの構築のための技術基盤の整備が進むことが期待されている。
(3)GAIA-XとEU一般データ保護規則(GDPR)との関係
前述のように、GAIA-X発足の背景には、EUのデータ管理を海外プラットフォーマーに依存している状況を緩和したいとの思いがあると言われる。EUにおいても、利用されているクラウドの多くはAWS(Amazon WebServices)、Microsoft Azure、GCP(Google Cloud Platform)などが占めており、EUに本社を置いていない巨大プラットフォーマーのクラウド環境が多く利用されている。米国のプラットフォーマーへの依存によって、EUではプライバシーへの懸念が大きくなっている。
2018年3月に、米国議会は海外のデータの合法的使用を明確化する法案である「クラウド法(CLOUD Act)」を可決した。これによって、クラウドプロバイダーのサーバに保管されているデータに対する法の執行要求についての法的枠組みが変更された。この法律により、米国のクラウドプロバイダーが保管しているデータは、そのデータが物理的に海外にある場合であっても、米国の法の執行による要求がある場合には、アクセスすることが可能になった。
一方、EUにはデータの移転そのものを制限するGDPRがあり、これとクラウド法は矛盾することになると思われる。GAIA-Xには、データインフラ上でサービスを提供する企業として認定を受けるために満たさなければならない高い基準が定められている。特に、EU域内でのデータの保存についての条件は厳格である。また、EU以外の法的基盤が適用される場合には、その旨を明示しなければならないことがうたわれており、会員プロバイダーは、顧客のデータが米国のクラウド法などの法律の対象となる場合には、顧客に通知しなければならないことになる。
GAIA-Xのワーキンググループには、Microsoft、Google、Amazon、IBMなど米国プラットフォーマーの多くが所属しており、GAIA-Xは米国のプラットフォーマーから完全に独立した状態にはないとも言える。だが、GAIA-XではこういったプロバイダーがEU域のデータを管理するサーバをEU域内に設置するなどの対応について言及されており、米国のクラウド法とEUのGDPRの矛盾への対応については今後、GAIA-X内で米国プラットフォーマーを巻込んで議論が進むと思われる。
株式会社東芝 デジタルイノベーションテクノロジーセンター チーフエバンジェリスト
株式会社コアコンセプト・テクノロジー アドバイザー
シェアエックス株式会社 アドバイザー
1990年3月、早稲田大学大学院修士課程(機械工学)修了。1990年に東芝に入社後、製造業向けSCM、ERP、CRMなどのソリューション事業立ち上げやマーケティングに携わり、現在はインダストリアルIoT、デジタル事業の企画・マーケティング・エバンジェリスト活動などを担うとともに、オウンドメディア「DiGiTAL CONVENTiON」の編集長を務める。また、企業のデジタル化(DX)の支援と推進を行う株式会社コアコンセプト・テクノロジーのアドバイザーも務めている。主な著書に「デジタル・プラットフォーム解体新書」(共著:近代科学社)、「デジタルファースト・ソサエティ」(共著:日刊工業新聞社)、「製造業DX - EU/ドイツに学ぶ最新デジタル戦略」(近代科学社Digital)がある。主なWebコラム連載に、ビジネス+ITの「第4次産業革命のビジネス実務論」がある。その他Webコラムなどの執筆や講演など多数。
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